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琵琶湖竹生島、長浜城、長浜市内探訪

久しぶりの更新です
今回は琵琶湖の(1回目)竹生島と(2回目)長浜城・長浜市内を観光してきました。
なにせ日帰りなものであわただしく取材してきました。戦国時代、歴史の街を
充分紹介は出来ませんが、そこんとこは勘弁してね、ではどうぞ^^
つぶやき・・・・皆さんはもっと豪華なGWをすごしたんだろうな




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長浜港→竹生島(上陸80分)→長浜港 計=2時間20分のコース 大人3070円
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2階の展望デッキに席をとり、かなり古いニコンD80一眼レフデジタルカメラで準備
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波しぶきをあげながら湖面を切り裂き進む。あっ!あれが竹生島
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さぁ着いた
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こんにちわ、こんにちわ、観光を終えた見知らぬ人にあいさつ。
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かわらけ投げ、鳥居の廻りの白い砂利みたいなものすべて投げたかわらけの破片
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宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島にある真言宗豊山派の寺院。
山号を巌金山(がんこんさん)と称する。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は行基とされる。
西国三十三所観音霊場の第30番札所である。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、
日本三大弁才天の1つにも数えられている(他の2つは厳島神社と江島神社とされている)。

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竹生島流棒術だって?初耳なので調べました。
平安時代末期、流祖・難波平治光閑(大坂の人)は信仰していた竹生島弁財天より
難波流長刀術を夢想奉得した。源平合戦の折、戦いの最中に長刀の込本から
折れた柄のみの棒で戦ったことから、これを竹生島弁財天の冥恩であるとし、
竹生島流棒術と名づけた。 同系と思われる霊山竹生嶋流棒術の伝承では
竹生島弁財天(竹生嶋弁財天)の啓示を受け、難波流薙刀をもとに棒術を編み出したと伝えられている。
いずれの伝承も、竹生島弁財天の神託によって自分が創始した棒術を竹生嶋流棒術と称したと伝えられる。

ウィキペディアより抜粋
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伊吹山です 標高1377m
薬草の山として有名でした。
織田信長が南蛮人から入手した薬草を栽培する菜園を伊吹山に作らせる。その菜園には、
ポルトガル人が自国で用いていた約3000千種のハーブが移植されたといわれている。
「司馬遼太郎街道をゆく」に出てくる話で伊吹のもぐさの話が面白かった。

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最後にまとめ
竹生島
古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、
宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。
竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、
竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。

戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、
長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。
全文ウィキペヂァ抜粋


長浜城へ続く

2015/05/06(水) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(2)

GW

何も計画しないままGWに入ってしまった。何とかしなくては!

2015/05/06(水) | イラスト | トラックバック(0) | コメント(0)

雪の八坂神社、清水寺、平安神宮散策

遅ればせながら 新年あけましておめでとうございます
本年もマイペースで更新していきますので、どうぞよろしく
お願いいたします


正月に関西は雪が降りました、さっそく京都の雪景色を撮りたいと思い
初詣に出かけました。何回も出かけている場所ですが雪景色となると
格別な風情があり 心わくわくしながら撮りまくりました。
そのうちの一部をUPします。



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八坂の塔
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子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。
現在の建物は明応9年(1500)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、
本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築されました。高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、
子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。
平成25年(2013)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔がよみがえりました。
西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ、見事な景観が楽しめます。


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音羽の瀧(おとわのたき)
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石碑に刻まれているのは、現在の岩手県奥州市地域を本拠地とした蝦夷(えみし)の
首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の名前です。
二人は平安朝廷の東北平定政策に対して勇敢に戦いましたが、
郷土の犠牲に心を痛め、征夷大将軍・坂上田村麻呂公の軍門に下りました。
将軍は両雄の武勇、器量を惜しみ朝廷に助命嘆願しましたが、
許されず処刑されてしまいました。石碑は、平安建都1200年を期して
1994(平成6)年に有志により建立されました。

(京都観光ガイドより)

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2015/01/18(日) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(7)

嵐山渡月橋から広沢の池そして龍安寺へと紅葉狩り後半

「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、
禅宗が盛んだった室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が
宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は
藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを
細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、
自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、
京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。

(全文ウィキペディアより抜粋)

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この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称がある。この庭を「虎の子渡し」という
中国の説話と結び付けるのは伝承にすぎないが、参考までに説話の概略を以下に示す。
虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、
そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、
母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。
母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。
次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、
どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。
その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。
この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、
母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。つまり、
3匹の子虎を渡すのに3往復半する訳である。
龍安寺の石庭はこの様子を表したものだという訳である

(全文ウィキペディアより抜粋)

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知足の蹲踞(つくばい) - 茶室蔵六庵の露地にある。蹲踞は茶室に入る前に
手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。ここの蹲踞には回転折句を使って
「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、
その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを
「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。
また水を溜めておくための中央の四角い穴が
「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、
そのため一見「五・隹・疋・矢」と読める。水戸光圀の寄進と伝承されているが、
一般拝観者が見ることのできるものは複製である。

(全文ウィキペディアより抜粋)
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2014/11/29(土) | イラスト | トラックバック(0) | コメント(4)

嵐山渡月橋から広沢の池そして龍安寺へと紅葉狩り

11月24日
嵐山へ紅葉狩りに行きました。紅葉狩りの狩りとは何か変な言い方ですが
古から山へ獣を狩りに入ることが次第に野草を取りに山へ入る事にも狩りと
いう言葉を使う様になり紅葉を鑑賞しに行く事にも使うようにもなったとか
いろんな説があるらしい。間違ってるかな?まぁとにかく出かけました^^
毎年嵐山には来ていますが、今回は渡月橋から清涼寺、広沢池へと向かい
そこからバスで龍安寺金閣寺方面へと行く事にしました。少し強行軍です
最近運動不足で肥満気味なのでね。身長168cm体重は72kgは明らかに
肥満だろうな。


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広沢の池は古来から観月の池として知られ、数々の歌に読まれている。

西行法師による「やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池」
松尾芭蕉による「名月や池をめぐりて夜もすがら」


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野点(のだて)を催してるらしい。
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龍安寺は次回に続く

2014/11/25(火) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0)

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