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奥能登ランプの宿へ行ってきた~!

大阪から北陸自動車道で石川県金沢ICを抜け249号線へと北上する
途中千里浜ICで休息、海岸で車を止め日本海をゆったりと眺める^^
さて行先は奥能登珠洲市ランプの宿。途中我が故郷門前町にも立ち寄り
親戚にもご挨拶。親戚の叔父叔母さんも元気に隠居生活を楽しんでいてまずまず
近くの磯へ出かけアワビ、サザエなんかを取りに行っているとのこと
ご存知でしょうが一般の人は取れませんのでご注意を。



能登0

千里浜ICで日本海と対面1能登

狼煙の灯台
能登2

ひぐらしが鳴く 奥能登のゆきどまり・・・・・山口誓子 つぶやいているようなニュアンスが好きだな。
能登3

能登3-1

能登4

な・なんと崖の下か~~!
能登5

能登6

能登7

部屋でボ~としている配偶者^^
能登8

能登9

能登10

能登11

能登12

能登13

7・1 お小夜の悲恋伝説>(伝説の鳴き砂の浜より)
「昔、能登國・仁岸(にぎし)の郷の渡瀬(わたせ)という部落に、次郎助(じろのすけ)という百姓家があった。次郎助の娘お小夜(さよ)は家が大変貧乏だったので近くの女郎屋に遊女として売られたが、その後、江戸の吉原まで流れてゆき、吉原いちの売れっこ花魁(おいらん)になった。
 義理にかたく、情に厚く、芸に秀でていたので、一目千両の花魁お小夜と、もてはやされた。そのうち同郷の誼(よしみ)で、能登輪島の重蔵という船乗りが、お小夜のもとへ通いつめ、お小夜はこよなく重蔵に魅かれた。だがあるとき重蔵は輪島に帰ったまま、ばったり寄りつかなくなってしまった。不審に思ったお小夜が輪島の重蔵のもとへ行ってみると、すでに他の女がいた。愛憎半ばする心で故郷の劔地(つるぎじ)へ帰ったお小夜は、海に身を投げて自らの命を絶ってしまった。その怨念(おんねん)が砂浜にのりうつって、砂の上を歩くと泣き声に似た音をたてるようになった」 剣地の方言で、泣くことを「ごめく」というので、村人たちはこの浜を「泣き浜」と呼ぶようになった。
「村人たちは不潤(ふぴん)に思って、劔地海岸が一目で見渡せる渡瀬に小さな祠(ほこら)を建ててお小夜の霊を慰めたが、沖に白帆が見えるたびに暴風を起こして大時化(しけ)となり、そのつど遭難させた。お小夜の亡霊が船をとめる、それではかなわぬと、村人は海q見えたい山の上代(うわだい)に移した。それがいまに残る黒髪神杜である」 以上は後に述べる定梶(じようかじ)昭三さん(門前町剣地)から聞いたお小夜伝説である。(1)次のような話もある。「重蔵はこの浜から船出したまま、いつまでたっても帰ってこない。お小夜は恋いこがれ、毎日、この浜へ出て、浜の岩(浜の中央、やや南寄りにある奇岩)にのぼり、"重蔵恋しや"と嘆き、沖合の舟を眺めて待っていたが、とうとう病にかかり死んでしまった。やがて帰ってきた重蔵は、お小夜の死を聞き、浜を涙でぬらした。それ以来、浜の砂がごめくようにたった」 ところで、この伝説には琴が出てこないのに、現在の地図や案内書には「琴ケ浜」と書いているのはなぜだろうか。定梶さんの話によるとこうである。「これは近年つけられたもので、私の父・定梶宗次が昭和初年に付けたと聞いております」。伝承に忠実であるためにも、泣き浜というすばらしい名称を残したいものだ。
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2013/09/15(日) | イラスト | トラックバック(0) | コメント(8)

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『No title』

風来坊さんは元、能登男児ですか!
故郷に錦を飾られての帰郷なつかしいですね。
「ランプの宿」は少し前にテレビの旅番組で紹介していましたのを「エエとこやな」とうらやましげに見ていました。
宿泊されたんですか、よかったですね。部屋でくつろがれて海を眺めていらっしゃる奥様の顔が見えないのが少々残念です。
実は私の家内の今は亡き父方が石川出身でお墓も日本海に面した海岸沿いにあります。
子供たちの小さい頃はお墓詣りも兼ねてよく出かけました。今はもう大人になってそれぞれ家庭を持っていますので一緒に旅行することもなくなりましたが
夫婦旅は今でもよく出かけ能登半島は4年前に一周してきました。7月で梅雨が長引き連日曇空で時折、大雨にたたかれた思いでがあります。
「お小夜」さんにかぎらず日本海には悲恋伝説があちこちで香ります。
私も若い頃は「悲恋」によく泣かされました・・・いやいや余計な事です。

2013/09/16(月) 10:14:48 | URL | [ 編集]

旧美少年

『No title』

すみません。先ほど送信しましたコメントに「NAME」書き忘れていました。
申し訳ありません。    旧美少年(汗)

2013/09/16(月) 10:36:33 | URL | [ 編集]

セラ

『No title』

能登いいですね~、新鮮なアワビにサザエ。ご夫婦でまったりと温泉。鬼嫁だと聞かされてたのはうそだったんですね^^
 お小夜の悲恋伝説>(伝説の鳴き砂の浜より)
すいません、ぜんぜん知りませんでした^^;
お許しを・・・・・

2013/09/16(月) 21:05:25 | URL | [ 編集]

風来坊

『No title』

お二人さんコメントありがとう^^
世の中の景気が上向いてきたのかな最近少々いそがしくなりました。暇にしてると鬼嫁の機嫌が^^
都会に住んでると季節感を感じるのは日々の気候
くらいですね、だもんでたまに旧暦二十四節季七十二候の本を見ます、によると今は第四十五候白露(玄鳥去)燕去るだそうです幼い頃我が故郷でツバメをよく見かけましたが最近はとんと見かけないですどこへ行ったのやら?。

2013/09/21(土) 16:29:06 | URL | [ 編集]

旧美少年

『No title』

セラさんが「鬼嫁だときかされていた」の問題書き込みがあり大変心配していました。
風来坊さんまで!お、おによめなどと。
奥様はこのブログ読まれていないのですか?
強烈なツバメ返しの刃が飛びそうでやはり心配です。

2013/09/22(日) 08:13:56 | URL | [ 編集]

レンダマン

『北陸の風情』

北陸能登半島、確か石川さゆりの歌にありましたかね能登半島とゆうのが・・・能登半島には行ったことはないですが、金沢は観光で、また松任市で仕事はしたことがあります。白山などがある北アルプスの麓なので日本海から吹く風が上昇気流になって雨がよく降る土地柄でもありますね。それだけ水が豊富であり加賀前田100万米といわれるように米どころの産地ではないでしょうか? 
金沢は北陸の小京都と呼ばれて文化的な土地柄でもあります。加賀友禅、兼六園、等々有名なものがあります。数年前金沢へ夏の観光の折、加賀国の蕉門俳人、一笑の塚(墓)に参ったことがあります。芭蕉が奥の細道の旅の途上に若死にしてしまった弟子の追善供養に、「塚も動けわが泣く声は秋の風」と詠んだと説明にありました。奥の細道のなかにもありますが・・・
その時私も芭蕉にならい(まねして)「 細道の蕉門菩提や蝉の声」と拙句をよみました。
松任市は「朝顔につるべとられてもらい水」の句で有名な加賀のちよじょ縁の土地でもありました。石川県よりさらに北上すれば富山県、石川となり、失礼、石川さゆりの歌「風の盆恋唄」で有名になった、風の盆のお祭りもありますね。ここへもいきました。胡弓の音とともに練り歩く盆踊りが北陸の風情を醸し出しておりました。そこでも拙句、 「凪の川ゆるり流れて風の盆」 
ランプの宿の写真が示すとうり 
「北陸は陰なる風情がただよヘリ」良きところでしたよ。

2013/09/23(月) 00:44:12 | URL | [ 編集]

続風来坊

『Re: Re: No title』

訪問ありがとう
返信が遅れてしまってスイマセン
我が故郷ながら深くは知りませんでした。灯台元暮らしとでも言うのでしょうか、素敵なコメント勉強になり ました、ありがとう御座います。
数年前から俳句でも勉強して見ようと思い立ったのですが、これまた歴史が深いんですね、連句、俳諧、俳句と
やはり俳諧のエベレスト芭蕉さんの足跡を辿るのが一番なのでしょうね、当時の蕉門の弟子は全国にいたのですから。加賀国の一笑と言う弟子がいたのですか、知りませんでした。談林から独自の蕉風へとどういった境地に
至ったのでしょうか、芭蕉さんの俳諧で感じとるしかないのでしようね。秋になって増々吟行にでも行きたくなって来ました 「秋の駅 旅情を誘う パンフかな」^^
ところでレンダマンさんはどこかの句会でも入っているのですか?私は我流で思いつくままに詠んでいます
素敵な俳句ありがとうございます。
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」
芭蕉さん終焉の地に石碑が立っています、大阪本町
南御堂会館前 御堂筋道路の真ん中に、ビックリです。

2013/09/28(土) 16:52:41 | URL | [ 編集]

レンダマン

『俳聖の故郷』

前略、風来坊様

私の拙句にお褒めの言葉を頂き有難うございました。私も貴殿と同じくどこの句会にも参加せず、一人で趣味の俳句仲間と楽しんでおります。芭蕉終焉の地に俳友と訪れたことはありました。たしか浄土真宗の寺、南御堂の境内の庭園に有ったかとおもわれます。その時に「旅に病み夢は枯野をかけまはる」の天保年間に建てられた石碑がありました。そこで俳聖芭蕉の対句としてこのような拙句をよみました。
「青木葉の句碑へ戻れば夢再び」 枯野に対して青木葉、句碑は芭蕉終焉の土地すなわち思い出、要するにあのころの青春の日々に戻ってまた夢を見てみたいなあとゆう意味です。また芭蕉の生誕地三重県、伊賀上野市もいきました。公園に建築家、伊藤忠太氏設計の、芭蕉の僧形をイメージした俳聖殿がありました。確か夏の真っ盛りでありました。中を覗くと小さな芭蕉の塑像がありました。そこでその塑像に何かいい一句を詠める題材をくださいと祈っておりました。ベンチに座りながらコンビニで買った弁当をたべねがら、ふと見上げるとなんと俳聖殿の背後に入道雲がもくもくと立ち上っているではありませんか。そもさん、この情景を詠めと言われているような気がしてなりませんでした。さすがにその時は「おおーっ」と声をあげるしかありませんでした。後でその情景を想像しながら、せっぱ「入道雲 湧き立ち不動の 俳聖殿」とよみました。 今ではその情景も良き思い出になっております。

2013/10/13(日) 19:01:48 | URL | [ 編集]

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