山の辺の道へ行ってきた。

山の辺の道へ行ってきた
「奈良盆地。古代その東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、
三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道がある
「日本書紀」にその名が残るそれが「山の辺の道」です。
「記紀・万葉集」ゆかりの地名や伝説が残り
数多くの史跡に出遭える最古の道。」 文抜粋

山の辺の道と言ってもいろいろなコースがある今回は南コース(天理から桜井)
までにチャレンジ。しかしとても一日では踏破できず途中、崇神天皇陵までとなった。残念!


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天理駅前広場
CoFuFu こふふん 2017年4月オープン

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石上神宮
古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。

有名な七枝刀
日本書紀には百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ「七子鏡」一枚とともに「七枝刀」(国宝に指定)
一振りが献上されたとの記述がある。


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天然記念物指定されている烏骨鶏や東天紅といったカラフルな色をしたニワトリたちを、
放し飼いされて、境内の至る所で見受けることができます。

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東天紅
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うち山やとざましらずの花ざかり
この地を訪れたのかは定かではないが、芭蕉が江戸へ下る以前「宗房」と号していた頃の作品

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天理観光農園  カフェ「わわ」

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ゆっくりとした時間が流れている
ジャズの演奏をしている


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夜都伎神社(やつぎじんじゃ)春日大社との関連が深い

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大和朝廷の創始者とされる第10代天皇、
崇神天皇の陵墓「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)」として陵墓に指定され、
宮内庁が管理しています。 地域の名を取って「行燈山(あんどんやま)古墳」とも呼ばれています。


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山の辺の道は今後何回も訪れなくては、日本歴史の故郷のような場所だな~
とても今回だけでは報告できません。
確か漫画家の里中満智子さんがTV番組の現地取材で、
町並みや景色は変わっても山並みや河川の形状は
昔もさほど変わりはないでしょう、想像力で古代へと旅してみましょう
てなことを言ってたのを思い出しました。まさしく




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2018/06/07(木) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(1)

月ケ瀬梅渓へ行ってきたよ

梅林を見に行こうと思い立った。
20年前に行ったことのある月ケ瀬梅林に行くことに決めた。
ネットで調べてみる。
月ヶ瀬梅林はV谷の斜面に広がる梅林である。
月ヶ瀬梅渓」と呼ばれる所以となった雄大な渓流は高山ダムの完成(1969年)によりダム湖の底に沈んだが、近年はその月ヶ瀬湖の湖水と梅林が調和し、新たな景観を形成している。月ヶ瀬梅林は海抜200メートルから300メートルの高原である。高原の影響を受けるため、月ヶ瀬梅林に生育する梅の開花期は奈良市中心部よりも半月ほど遅れ、3月の中旬から下旬に満開となることが多い。


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烏梅伝来(参考)
1331年に起こった元弘の乱で大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する際、一緒に逃げてきた女官の一人が月瀬に滞在した。その女官が熟れた梅の実を見て月瀬の民に京で使用される紅花染め用の烏梅の製法を教えたという伝承が残る。その約100年後の15世紀ごろには五月川流域一帯は烏梅を作るための梅林で埋め尽くされたという。
深い渓谷にある月瀬の村々には耕作地として利用できる土地に乏しく、厳しく取り立てられる上納米を納める余裕がなかった。そこで換金作物である烏梅を生産し、烏梅の販売金を銀納した。耕作地として利用できない斜面で烏梅に用いる梅を栽培し、限られた耕作地では自給食料を生産することで自らの生活を守ったのである。
烏梅(うばい)ってなに?
未熟な梅の果実を、薫製(くんせい)にしたもの。 梅実を籠(かご)に入れ、釜戸(かまど)の煙で 黒く燻(いぶ)し、乾燥させて作る。
名前の由来
「烏梅」の「烏」はカラス。 黒い色にちなみ、名付けられたと思われる。 マムシやイモリの黒焼が漢方薬なのだから、 梅も黒くいぶされても不思議ではない。 逆にいかにも効きそうな漢方薬に思える。
烏梅の薬効 なにに効くの?
鎮痛・解毒作用がある健胃整腸の妙薬。煎じて風邪薬や胃腸薬として用いる。
「熱冷まし」「下痢止め」「咳止め」「食物や薬物中毒」
「回虫駆除」「止血」「すり傷」「切り傷の手当て」など
昔から民間薬として重宝され、漢方薬として現在も用いられている。
日本女性を彩った「紅」と烏梅の関係
烏梅は漢方薬としてだけでなく、当時は全く別の用途に使われ、貴重な物とされた。
梅には「クエン酸」が多く含まれている。
紅花から「紅」の色素を取り出す時、その天然のクエン酸を
染色の「媒染剤(ばんせんざい)」として利用した。
奈良県の月ケ瀬梅林は「烏梅」を作るために植えられた梅林だ。
しかもそれは薬用ではなく、主に紅花染め用に使われていた。
特権階級の人々が愛用した「紅花染め」。
そして、日本女性を彩った口紅・頬紅に、
烏梅は、欠くことのできない存在だった。

参考文はウイキペディアより抜粋


さあ帰ろう。しかしだいぶ時間に余裕があるな。関西線で奈良へ行ってみよう
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奈良についた。のんびりと鹿が観光客をおもてなし
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外国人が多いな。
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春日大社に参拝
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2018/03/22(木) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(3)

神戸南京町春節祭へ行ってきた。

神戸南京町春節祭に行ってきました。
旧暦で節句を祝う中国では、旧暦16日のお正月を「春節」として盛大に祝います。
この時期の中国は爆竹が鳴り響き、
祝い事にはかかせない龍や獅子が舞い踊り、おおいに賑わいます。
南京町でも旧暦の正月に合わせ、1987年(昭和62年)から「春節」をアレンジし
「春節祭」として開催が始まりました。
その後、昭和天皇崩御の年と阪神淡路大震災の年の2回は中止となりましたが、
2018年は32年目、30回目の開催となります。
1997年(平成9年)には、神戸市の地域無形民俗文化財に指定されました。


春節1

春節2

春節3

春節4

音楽
【遥響-HARUKA-】


春節5

春節6

変臉(変面)
【東京中国歌舞団】


春節7

春節8

春節9

春節10


【范 丹陽】

春節11

太極拳
【兵庫太極拳同好会】

春節12

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2018/02/20(火) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(3)

大阪城西の丸庭園イルミナージュ

久しぶりの更新です。
大阪城イルミナージュへ行ってきました。
2月25日まで開催してるらしいけど、私が行ったのは
昨年の12月です。遅ればせながら本日更新します。
開催場所は大阪城西の丸庭園です。入場料は大人¥1200小人¥600


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2018/02/13(火) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0)

八幡背割り堤で花見

花見に行ってきました。
京阪電車で八幡市駅下車

石清水八幡宮を含む男山全体が桜の名所ではありますが、もう一つ、
木津川を挟んだ向かい側にも、背割堤という桜の名所があります。
背割堤の桜をお楽しみ下さい。

また、風のさわやかな季節なら、八幡市駅前にある無料のレンタサイクルで、
時代劇のロケ地として有名な流れ橋までのサイクリングもオススメ・・・
背割堤(せわりてい)は、京都府八幡市にある堤防である。宇治川(淀川)と
木津川の合流部に全長1.4kmに渡って二つの河川を区切るように設置されている。
洪水発生時に両河川をスムーズかつ安全に合流させる役割を果たしている。


淀川河川公園の景観保全地区に指定され、ソメイヨシノが約250本植えられているため、
毎年4月には花見客でにぎわっている。


明治時代まで木津川は淀(京都市伏見区)付近で宇治川に合流していた。
1800年代後半には明治大洪水をはじめとして、淀川で多数の水害が発生した。
そのため、木津川と宇治川の合流部を現在の三川合流部に付け替える淀川改良工事が行われ、
1910年に現在の流路となった。更に1917年の大正大洪水の被害を受けて河川改修が行われ、
現在の背割堤が建設された。
1970年代までは堤防にマツが植えられていたが、虫害のため
ソメイヨシノに植え替えられ現在に至っている。1988年4月より桜並木の一般開放を開始した。


ウイキペデイ゙アより

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後ろの山は天王山豊臣秀吉が明智光秀を破った所、天下分け目の天王山
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2016/04/03(日) | 写真 | トラックバック(0) | コメント(3)

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